あらかわもんじゃとは?

1819年刊「北斎漫画」に、文字焼き屋の挿絵があり、このことから江戸時代には既にもんじゃ焼きに類するものがあった。

焼くときに種で文字を書いて遊んだことから「文字焼き」それが訛り「もんじ焼き」から「もんじゃ焼きに」なったとの説が有力です。

日暮里駅周辺には最大120もの駄菓子問屋が集積しており区内には駄菓子屋が多く存在した。
昭和の時代そのような駄菓子屋の多くでは店内で子供向けにもんじゃ焼を提供していました。
駄菓子などの具材を入れたりソースでの味付けは自分たちで行うのが一般的でした。
その後、外食産業としてのもんじゃ焼店が区内の各所に点在するようになり、今日のあらかわもんじゃとなった。

あらかわもんじゃは「土手を作らないのが流儀」とも言われますが、こちらも諸説様々、正しくは「楽しければ作り方はこだわらない」ということなのです。
味付けや作り方だけではなく、むしろその中で生まれる触れ合いとコミュニケーションこそが、こだわるべきもんじゃの醍醐味なのです。

※あらかわもんじゃ学研究会webサイトより