震災から6年。復興した南三陸の牡蠣はこんなに美味い!
もうすぐ3月11日。東日本大震災から丸6年を迎えようとしていますね。
今でこそ三陸の牡蠣を美味しく食べられるようになりましたが、
その産地の復興はどうなっているのか。
なんで美味しいのか。
どうやって育てているのか。
などなど気になることは様々。
酒場めぐりマガジンSyupoの塩見なゆさんのお誘いで、復興応援キリン絆プロジェクトを進めるキリン主催の「宮城牡蠣産地視察ツアー」に参加してきました。
「宮城牡蠣産地視察ツアー」は今回で三回目だとか。
単純にお金や物資を支援するだけでなく、商品のブランド化、販路拡大など含めて行っている復興応援キリン絆プロジェクト。
飲食店や仲卸さんと一緒に漁協の方、漁師の方々の話しを聞いてきました。
今回のツアーは南三陸町。
津波の被害で報道されていた場所です。
移動するバスの車内でも波の高さ、どこまで被害があったのか、場所ごとのエピソードを聞かせていただき、テレビだけではわからないことを実感してきました。
まずは唐桑漁港からスタート。
唐桑では筏と延縄の二種類で牡蠣の養殖をしており、写真は筏。
震災直後に津波で全ての筏は流されましたが、広島の牡蠣産地から筏を送ってもらったり、ボランティアの若手に作ってもらったり。
もう漁業を辞めようとさえ思っていた心を後押ししてもらいました。
津波で全て流された結果、海の底は綺麗になり、山からの栄養が流れ込み牡蠣の品質自体は良くなったのだとか。
今後100年後の牡蠣を想定して養殖を進めているとのこと。
筏から引き上げた牡蠣。
たくさんの牡蠣が連なっていますね。
唐桑では他よりもうすい種を使っているため、丸く大きな牡蠣が育ちます。
(種=牡蠣の幼生、うすい=種と種の間隔を広くとること)
引き上げたばかりの牡蠣を剥くと超特大の牡蠣が!
隣の小さく見える牡蠣だって、決して小さいわけではなく、オイスターバーで食べたら特大サイズ。
3年育てるとこんなに大きくなるそうです。
牡蠣を見た後にホタテの養殖場も見せてもらいました。
その場で開いて、貝柱とひもをいただく贅沢。
何も付けなくても美味いんです。
これは東京では味わえない味。
さっきまで生きてたんだから新鮮なんてもんじゃないですねー
船の上で雪と強風に耐えてた甲斐がありました。
ランチを食べた後に来たのが志津川漁港。
写真は延縄です。
海に浮いている黒いブイの下から垂らされた縄に牡蠣が連なっています。
志津川は海に川が流れ込むことで海洋性プランクトンが増え、牡蠣の甘みが出るとのこと。
漁港に戻って牡蠣処理場で剥いてもらいます。
意外なことに殻付き牡蠣より剥き牡蠣の方が手間がかからないんだそうです。
殻の大きさをそろえたり、汚れ落としなどが面倒で。
剥きたての生牡蠣。
大きいですねー。
そのまま食べるとちょっと塩辛い。
海水を出しながら食べた方が良かったそうで。
それでも新鮮クリーミーで美味いんですけど。
翌日向かったのは戸倉漁港。
天気もよく、牡蠣日和。
南三陸町の78%は山。
そこから流れ込む川が牡蠣を甘く美味くします。
さらに水深が約30メートルと深い。
この深さがより強い牡蠣を生み出します。
船の上で剥いてもらった生牡蠣。
1分前まで海の中で生きていたヤツですよ!
これ以上新鮮な牡蠣は無いですね。
しかもでかい。
海水のしょっぱさだけでこんなに美味いなんて。
牡蠣処理場では牡蠣剥きを見学。
10秒くらいで一つ処理していく手さばきに見とれます。
処理場の設備もキリンをはじめとしたみなさんの支援によるものだそうです。
南三陸町は牡蠣の養殖場が多く、それぞれ違った地形、育て方など特色がありブランド化しています。
これだけのこだわりと情熱を持ったみなさんが作っている牡蠣なんだから美味いに決まってますよね。
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